日々の100
暮しの手帖の編集長でいらっしゃる松浦弥太郎さんの
日々使っていらっしゃる持ち物100個とそれにまつわるエッセイです。
「あ、最近よくある北欧系とかの雑貨を並べる、あれ?」と思われた方。
似て非なるものです。
お金で簡単に買えるものはあまり載っていません。
外国(それも名前も聞いたことがないような田舎町)の朝市で購入したものとか
海外で意気投合した旅人と交換したシャツだとか、
30年も40年も前の文庫本だとか・・・。
単に今すぐ手に入るおしゃれ雑貨ではなく、
松浦さんの思いや時間、旅先での出来事などをこちらも共有でき、
本当にいい本でした。
ありきたりのエッセイではなく
なんだか筋が1本も2本も通っていて、
お野菜にたとえるとレタスやきゅうり、トマトなどではなく、
ごぼうやレンコンなどのような印象を受けました。根菜系ですね・・・。
この本を読んで、ますます松浦さんのファンになりました。
熱くもなく、冷たくもなく、淡々と比較的平坦な語り口(というか文章)
だと思いますが、それがゆえに松浦さんの経験や考えが引き立っているように感じます。
本当にいい本です。
是非手に取ってみてください。
魯山人陶説 (中公文庫)
なぜあなたは陶器を作るようになったか、とよく人から訊ねられるが、自分は言下に、それは自分の有する食道楽からそもそもが起こっていると答える。自分は幼年の頃から食味に趣味を持ち、年と共にいよいよこれが興趣は高じて、遂に美食そのものだけでは満足できなくなってきた―「なぜ作陶を志したか」(昭和8年)
北大路魯山人は40歳代から作陶を志した。その動機はまさに「持って生まれた美食道楽」が為せる技であるのだが、そこには「良い料理には良い食器が入用で、良い食器には良い料理が要求される」(昭和5年)という牢固たる哲学が存する。魯山人にとって、「食器は料理の着物」なのであり、実際、彼は「料理をやる人は、食器を勉強しなければいけない」(昭和10年)と強調している。
他方、魯山人は「私はこの世の中で一番むつかしいことは、美術を知ることと食物を知ることだと思っています」(昭和28年)と虚心に語っている。だが、食物は言うに及ばず、本書にあるように、陶器等の美に対する探求心と審美眼は際立っていよう。魯山人自身も自己の作品は「下手の横好き」と卑下しているけれど、「批評は長じている」(大正14年)と、その自信の一端を示している。
この『陶説』は、所謂「魯山人三部作」の一巻であり、陶器製作の妙諦を説き、日本の陶磁器における固有美を剖析した、彼の意想が横溢する内容となっている。書と同様、同時代の作陶家等に関する直評などは実に厳しいものがあるが、「やきもの」の美の本質を追究した魯山人の営為は、私たち常人には及びも付かない。







